母親

鬱が来ると、最近は母親のことをよく思い出す。

あんなにも逃げていた存在だったのに。

私も歳をとったという事なのだろうか。

染髪したことのない、艶のある綺麗な黒髪が素敵だった。

くせっ毛で艶消しをした自分の髪とは何もかもが違う。

空を見上げることが好きな人だった。

星や月、花火をこよなく愛でる人だった。

「今日は満月よ」と連絡が来る度にうざったいと思っていた。

「私は月の種族の人間だから、月を眺めてしまうの。」

と、度々言っていた。

これは彼女が好きだったアーティストの影響。

夜中に寝室で、意味もなく泣き出して父親に縋っていたのを覚えている。

隣の自室からよく覗いていた。

繊細な人だったのだろうと思う。

娘に依存して、自分がやりたくても出来なかったことを何もかも押し付けて、母親としては出来た人では無かったと思う。

裁縫も料理も音楽も、すべて彼女から教わった。

家庭的な人だったのは確かだ。

父親は亭主関白では無かったが、彼女が自ら進んで彼を亭主関白に仕立てあげていたかのように思う。

妻としては出来た人だったのかもしれない。

私が精神病に罹ったときも、理解してくれたのは母だけだった。

「薬を飲むな」と怒鳴る父親に対して母親は何も言わなかったけれど、後からこっそり彼女の飲んでいる精神薬を分けてくれたりもした。

私は母親にはなりたくないと思う。

私の母親のようになりたくないのではなくて、私が母親になりたくないのだ。

だってきっと、同じ事を繰り返してしまうから。

不幸に甘んじる

私は忘れられないことの方が多い。

掛けられた嬉しい言葉も優しい視線もその手の暖かさも、何もかもが忘れられない。

諦めなくてはならないのに諦められない。

幸せになれないのは幸せになろうとしていないから。

自分は幸せになってはいけない人間だと思い込んでそこに落ち着いている。

不幸な方が安心できるから。

幸せは毒や薬、はたまたウイルスのようなものだ。

私の身体では、私の心では何もかも耐えられない。

耐えられなくなって、逃げ出してしまう。

それが分かっているから私は不幸に甘んじている。

不幸だ不幸だと嘆く方が幸せになるよりよっぽど私らしいから。

それでもやはり幸せを諦めきれないのは、私が人間たり得る証拠だろう。

あの人が好きだ。

満たされたい。

認められたい。

望んではいけないことだと分かっていても望んでしまう。

何度冷静になって考え直してみても、熱が上がる度に思い返してしまう。

幸せになりたい。

なってどうするのだ。

幸せになったところで何も出来ない癖に。

それを維持するだけの気概を持ち合わせていない癖に。

気持ちが悪い。

気持ちが悪い。

生きていることが全て良くない。

生存本能に支配される自分が嫌いだ。

食欲も、睡眠欲も、性欲も、それを持ち合わせている自分が嫌いだ。

全て無くなってしまえばいい。

年が明けた

2020年を振り返って。

 

本当に自分の無力さしか感じない年でした。

できていたこと、できるようになったことが一気にできなくなって、今の自分には何があるのかなって。

2019年は自分の無力さを再認識した年だった、と言っていたと思うけど2020年は本当に無力さしか感じなかった。

 

唯一がんばったのがボイスコの内職。

 

最初は滑舌悪いだの棒読みだの小学生の音読レベルだの散々言われながらだったけど、自分なりに滑舌練習を頑張ったり、演技について考えたりもして、年が終わる頃には「聞き取りやすい発声と声、感情をきちんと乗せられる演技」と褒めていただけるまでになったのが嬉しかったな。

 

それ以外は本当に何も無い気がする。

 

お役所に行けたのだって最初は自分の中では大成長だって思っていたけれど、実際生活保護を受け始めてから不自由が増えたし、気持ちが沈むことも多くなって、働いていないことで働いてる人との価値観に日に日に差がついていくことが怖くて怖くて仕方なく。

お役所の人は「怖がらなくて大丈夫、ゆっくり行こう」と言ってくれるけれど、それは世間から見たら「お役所の人の言うことなんて…」って感じなんだなっていうのも知ってしまって。

 

生活を建て直して、今度こそ障害者雇用でも続けられる仕事に就こうと思っているのに、体調はどんどん悪くなって、親からも「障害者雇用なんてロクな職場無いぞ」とか言われるし、じゃあ私はどうすればいいんだよ?!

 

私はきちんと働きたいんだよ、社会復帰したいから生活保護受けたのにどんどん「社会復帰」からは遠ざかっていってるような気がする。

 

新年からつらい。未来が見えない。

2021年どんな年になるのかまったく想像もつかない。というかどうしてまだ生きてるんだ馬鹿なのか私は。自殺すると誓ってから何年経った?なぜまだ死んでいない。本当に2020年は自分のことを更に嫌いになったと思う。どうしよう早く死ななきゃ。

 

おそらく今年は作業所の見学に行くところから始まると思う。それから作業所での仕事→障害者雇用での就活→障害者雇用での就職。全部スムーズに上手くいった場合なんだけど、まあまず私では無理でしょう。

 

どうしような。どうすればいいんだろうな。

 

でもボイスコの仕事は楽しいから続けよう。

声劇も楽しいから続けよう。

彼氏も大人だし優しいから続けよう。

 

なんやかんや今年も生きるんだろうな。

馬鹿みたいだけど。

今年もたくさんいろんな人に迷惑かけるんだろうな嫌だな。自分で行動すると必ず失敗するから植物になりたいなんて思っちゃった。

 

死にたい死にたいと言いながら何年経った?

まだ死んでない時点でお察しなんですよね。

死に損ない

周りはもう皆ちゃんとしてる。

ちゃんとしてなかった人もちゃんとしてなかったなりにちゃんとしようとしている。

「ちゃんとしている」がゲシュタルト崩壊してくるね。

いつまでは私はこうなんだろう。

このままなんだろう。

本当に何も変わっちゃいない。

相変わらず社会には適合できないし、人の気持ちは分からないままで。

自分が生きるための努力もできないし、そんな私が人の為に何かできるわけもない。

はやく死んでおけばよかったなあ。

今更死にたいとか言ったって、本当に今更感あるし、こんなにしんどいならもっと早く死んでおくべきだった。

これからもっとしんどくなるから早急に自殺すべきだと、過去に戻れたら伝えたいね。

24歳

もうそろそろ限界かなって思ってる。

このブログを始めたのは20歳?21歳の頃だっけ?死ぬことしか考えていなかったね。

それからいろんなことがあって、いろんな人に出会って、今は彼氏がいる。

どうしてかな、わたしはやっぱりりゅうさんの言う通り道を間違ったのかもしれない。でも間違っていたとしたらどこから間違っていたの?わからない。でも今好きな人がいて、恋人という立場になってくれて、すごく幸せだし好きだしだけどこのまま一緒にいられる自信が無い。だってお金が無いし、働けないし、仕事に行けなくなったし、春だし、ODしちゃったし、もうわたしはダメなんです。ちょっとだけがんばること、ができない。人並みじゃなくてごめんなさい。できないことが多すぎた。この世は私には向いて無さすぎたんだ。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。躁鬱の乱高下で多くの人を傷つけました。悪気は無いっていったって傷ついた人がいることには変わりないし、悪いことしたことには変わりはないし、躁鬱のせいにしたくない。病気だからって何してもいいわけじゃないもの。こわい。

好きな人が好きなだけなのにな。どうして上手くいかないんだろうな。幸せになりたいな、わたしも。頑張りたいな、頑張れないな。どうしよう。ごめんね。ごめんなさい。

できすとろめとるふぁん

世に言うDXMというやつですハイ。

ひさびさにOD決め込みました。

最初は180からがいいというので空腹時に180投入。効いてくるのが遅いというのでこの間にほうれん草を茹でて胡麻和えを作りました。明日の彼氏のお弁当用。鶏肉も漬け込んだはいいけどあれわたしきちんと焼けるんだろうか。

ずーっと大森靖子を聴いていてとても気持ちいい、東京と今日で泣きそうになった、なんにもないこの街に、なんでもあるこの街に、狭いといわれる空に、全て失ったぶったところも見られていた。

途中でゴイステに切り替えようと思ったけれどやっぱり大森靖子の気分で大森靖子に戻した。歌詞がグサグサくるのと普段聞こえないコーラスやベースの低音までガシガシ聞こえてくるので音の重圧感が凄い。オーケストラホール?なんていうんだっけあの天井高いクラシック聴くところ、あそこで常に音楽聴いてるみたい、きゅるきゅるすぎてきゅるきゅるになった。

24歳にもなってこんなことして馬鹿みたいだね。20歳ならまだ許されたかな。怖くてトイレにも行けないや。うっかりすると吐きそうになるけど吐いたらダメらしいからがんばろ、まだまだこれからどんどん効いてくるらしいからどうなっていくのかが楽しみです。

よろしくお願いしますね。

殺してほしい

人に首を絞められるのは怖い。

正直言ってトラウマになるし、首周りに物が当たるだけでもビクッとなってしまう。

本当に苦しいと生存本能が働くのか思いっきりゲホゲホとむせる。

繰り返し絞められると視界が砂嵐になる。

「息をするな」と言われると落ち着く。

だって私はもうずっと前から息をしたくなかったから。

 

いつか私のこと殺してくれますか。